
自閉症の方が書いた本を読みました。自分の中で世界が少し変わったように感じました。
(本記事にはプロモーションが含まれております)
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東田直樹さんが書いた「跳びはねる思考」という本を読みました。
学生時代に「24人のビリーミリガン」を読んだ時のような衝撃と世界を見る目が変わったような感覚になりました。


自閉症の方の言動は謎めいていてなかなか共感しにくいものでしたが 東田さんが文章にしてくださったので「そうだったのか!」の連続でした。
跳びはねることにしても 座ってくつろぐことで安らぎを感じる人にとっては ずっと動き回っていることは疲れるのでは?と思ってしまうけれども 動いている方が心が落ち着くという人もいるということを知りました。(なんで今までそのことに気づかなかったのだろうと思うほどわかりやすかったです)私の知っている「落ち着く」とその人にとっての「落ち着く」は違うこともあるのだと知りました。
語弊があるかもしれませんが ずっと跳びはねて自分をコントロールできないのは本人も辛いのではないかとか この社会では生きにくいのではないかと感じていましが、実際そういう部分もあるのかもしれませんが その時したいと思うことを自由に体現できていることは本人にとって幸せを感じる時間でもあったりする事を知りました。そしてその幸せを知らない自分にとってはとても興味深いお話でした。
自分にとって今まで当たり前だと思っていたことが急に実は不自由だったり足枷だったりしたのかもしれない。東田さんが「思考は、どこまでも自由」と仰ってるように もっと今の世界で自由を身近に感じることができるのかもしれない。
自閉症の方が挨拶ができないのは 人は風景の一部となって見えるのでその中から人間だけを認識するのが難しく その時に一番関心のあるものに心が惹きつけられるからとのことでした。
そのような感覚は体験したことがないし どんな感じなんだろうと読んでいてとても気になりました。挨拶ができないと社会では困ったことになってしまうけれども でもその時に一番気になるものに心奪われる感覚は誰にとっても心地よいものなのでその機会が多いということなんだなと思いました。
昔「自閉症だった私へ」という本を読んだのですが (記憶がやや曖昧ですが)そこには人と目が合わないのは空気中の水滴?みたいなものがとても美しくて綺麗でそれを一生懸命見ようとしていたからというような文があった気がします。
この時も目を合わせることができないという「できない」という事を知っていたような気になっていたけど 実際は他のことに心を傾けていたなんて考えたこともなかったなと感じたものでした。
この「跳びはねる思考」の中では 自閉症の方の感じ方をわかりやすく「例えば普通の方が〇〇だったら・・・」という感じで説明されています。これが本当にわかりやすくて「そうだったのか!」の連続でした。東田さんの深い洞察力があってこそだと思います。
急に奇声を発するのは 過去に怖い思いをしたことがフラッシュバックのようにまるで今起こっているかのように感じてしまうからだそうです。同じ行動を繰り返すのは それをすることによって過去に落ち着いたり心地よかったりしたためその感覚を求めてするのだそうです。普通の人にとってイライラしたら足をカタカタさせたり落ち着かない時に髪をいじったりするような感覚なのかもしれません。
もちろん自閉症の方がみんな同じということはないので人それぞれですが 理解できないから意味はないということではないし自分が知らないだけなんだという事を心に留めておかなくてはと感じました。
PRずっと前にスーパーのエレベーターに乗った時に一人の女性が勢いよく乗ってきてエレベーターの壁をバンっと叩いたことがあります。すごい勢いだったので驚いたのですが 後から息を切らした60代ぐらいの父親らしき男性が汗を拭きながら入ってきて笑顔で「驚かせてすみませんね」と言いました。
屋上の駐車場に着くと女性は勢いよく飛び出して 男性がその後ろをついていっていました。女性が急に向きを変えて走り出すたびに男性もついていっていて その屋上からは電車が見えるのですがフェンス越しに電車を見ながら男性が「電車見れたね」と声をかけていました。制止したり連れ戻そうとする感じはなく寄り添っている感じでした。
その時は男性に対して「大変そうだな」と思ってしまっていたのですが もちろんどんな気持ちかは本人にしかわからないのでそこを「大変だ」と簡単に考えるのではなく次に似たような場面があったらどんな世界が広がってるのかについて少し想像してみようと思いました。
ご訪問ありがとうございました。
別館
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